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緑と共生する空間のしかけをつくるランドスケープアーキテクト

鈴木雅和 先生

環境をデザインするランドスケープアーキテクト・鈴木雅和先生のお仕事から、その緑の空間にこめられたメッセージに迫るインタビュー。後編は環境教育にかかわる2つの大きなプロジェクトを経て、めぐりあった被爆樹木研究についても伺います。

緑と環境教育をひろげる2つのプロジェクト

――立川市にある国営昭和記念公園の花みどり文化センターは、広場の大地と一体化するようなつくりがとてもユニークな建物ですね。手がけられた経緯をおしえてください。

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▲花みどり文化センター。緑化された屋上は地上とつながっていて、建物の上にいることを忘れてしまいます

2004年当時、国営昭和記念公園所長の西川嘉輝さんから「環境教育の拠点」というコンセプトにもとづく構想の依頼を受けて、箇条書きでアイディアをまとめていました。ちょうどその頃、筑波大学にいらしていた、建築家の貝島桃代さんと知り合いました。「いっしょにやってみませんか」と声をかけたところ、アイディアを伝えただけで1週間後にすばらしいエスキース(スケッチ)を提案いただき、共同設計で始めることになりました。
正式に私の名前が残っているのは基本構想だけですが、その後の基本計画・基本設計・実施設計も、4段階全部に関わりました。

――それができるのも、ランドスケープアーキテクトのお仕事ならではですね。

はい。ふつうは設計したら終わりですが、生物調査も引き受け、さらに開館後の展示設計も担当しました。花みどり文化センター内には、昭和天皇記念館も設置されたので、「昭和天皇と緑の交流」をテーマに、牧野富太郎・南方熊楠・三木茂をとりあげて、1年ずつ展示を計画して進めました。昭和天皇は生物学者でもあり、交流のあった3人との関係を浮かびあがらせる、おもしろい仕事でしたね。
昭和天皇は三木茂の発見したメタセコイアについて、昭和62年の歌会始で「わが国のたちなほり来し年々にあけぼのすぎの木はのびにけり」という歌をのこしています。広場にはメタセコイアも植えてあるので、見つけて楽しんでもらえたらと思います。

​――おなじころに、沖縄の首里城公園花祭りのプロデュースも手がけられていましたね。

はい。沖縄の伝統文化と植物を融合させるテーマで、2006年~2007年の2月から4月の3か月間に行われたお祭りです。高さ6メートルもある龍のような造形物を、沖縄固有の植物を使って30体ぐらい、冬の間の2か月で作って展示するという大きなプロジェクトでした。

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▲沖縄の農家で生産された植物を使い、模様は苗を入れ替えて制作されています

そこで、CG の得意な留学生に、当時まだめずらしかった3DCG を使ってイメージ図を作成してもらいました。それをもとに、木で軸組みをして,間伐材で立体感を出し,ワラで形を整えて,最後にアルテルナンテラをはじめとする草花の苗パレットを貼りつけるという工法を編みだしました。
毎週末に沖縄を往復して、1 週間分の作業の進捗の確認と施工管理の指示をしました。現地で設計や現場監督をしたのは学生たちです。建築の学生と環境デザインの学生がチームになって民宿に泊まり込み、完成までを手がけました。地域の自然と文化の魅力を伝えるために、来場者が実際に植物に触れることができるイベントも企画しました。沖縄の観光客は、このイベントで20万人増えたそうです。

――まさに、緑の事業を動かすしかけを実践で伝えられたプロジェクトだったのですね。

被爆樹木のメッセージを伝える研究

――2つの大きなお仕事を終えられた2009年、「呼ばれる」ようにして巡り会ったのが、被爆樹木だったと伺いました。

最初に出会ったのは、広島の縮景園の大イチョウです。幹には原子爆弾によるやけどの跡を生々しく残し、根元では無数のひこばえを出している、その異様な姿にぞっとしました。けれども、傷をさらしながら必死に生きているその姿そのもの、生き方が美しいと感じたのです。それをモチーフに、すべての被爆樹木の写真を撮ろうと思ったのがはじまりでした。

当初は研究の意識がなかったので、最初の論文を書くのにも時間がかかりました。撮影と画像の整理を進めるうちに、木が全体的にかたむいていることに気がつき、2013年に発表しました。

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▲縮景園の大イチョウ。被爆樹木を撮影された最初の写真

――それまで、戦後70年近くたっても、被爆樹木に関する研究論文はほとんどなかったそうですね。

はい。なぜ被爆樹木は被爆地に向かってかたむくのか。爆心地側の幹は放射線や熱線を浴びて細胞が傷つき、成長が止まる一方で、影響の少なかった反対側は成長を続けることで、徐々に曲がるという仮説を立てました。大学の定年退職時に研究として採択されて、精密に測定を行い調べた結果、東京農業大学の國井洋一研究室の協力により3Dスキャナーを使用して、統計的にも立証することができました。

――2015年には、縮景園の被爆イチョウを主人公にした紙芝居を作られました。論文とは異なるアプローチをとられたのは、何か意図があったのですか?

教え子でランドスケープアーキテクトの中英公子(なかえくこ)さんほか、ノルウェーの環境デザインの専門家たちが広島の被爆樹木の見学に訪れるのに合わせて制作したものです。被爆イチョウが、おそろしい「もう一つの太陽」、つまり原子爆弾から受けた傷を語り、人間たちに「わしらの声を聞いておくれ」と訴えるストーリーです。

被爆樹木には、1本1本にもそれなりの物語がありますが,樹木群全体で表現している価値があります。被爆樹木たちは、かたむいた姿で爆心地の方向を無言で指し続けている。そこにメッセージを感じ取ることができます。そのためには、受けとめる人間の側に想像力が必要です。紙芝居が、それを伝えるきっかけになればと思いました。

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空から鳥の目で眺めると、被爆樹木の群れは、爆心地を包みこむように見えます。これらの樹木の間を歩き、爆心地の方向を意識しながら観察すると、必ずその痕跡を見つけることができます。それは、印刷物だけで理解できるものではなく、自分の足で、目で、手で体験することで、より深く感じられるものです。いわば被爆樹木の森は、体験型のフィールドミュージアムであり、平和教育の生きた教科書です。それをぜひ、多くの人に体験してほしいと願っています。

交流をとおしてひろがるメッセージ

――2024年には、ノルウェーから招きを受けて、現地で講演されたそうですね。どのような経緯があったのですか?

2017年に核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞したことから、ノルウェーに広島の被爆樹木2世の種がおくられ、オスロの自然史博物館にて贈呈式が開催されました。その後、受け取ったノルウェーの人々の尽力で成長した苗木の一部は、ノルウェー南西部にあるスタバンゲル市のスタバンゲル植物園にも届けられて、中英公子さんのプロデュースにより屋外アート展がひらかれることになったのです。そこで、広島で長年被爆樹木を見守ってきた樹木医の堀口力さんや、被爆樹木を国内外にひろげる広島市の市民団体「グリーン・レガシー・ヒロシマ・イニシアティブ」の渡部朋子さんたちとともに現地に招かれ、「原爆被害者としての被爆樹木」というタイトルで講演しました。
被爆樹木をそれぞれの特性に応じて保全・活用していくにあたっては、学術的研究のみならず、環境政策上の配慮も含めた教育・観光・デザイン的要素を考慮することが欠かせません。これからも生きて被爆を証明する樹木は大切な遺産として、後世に残すために管理して保存すべきであり、平和教育にどう生かしていくか、組織的・人的情報の交流が不可欠であると提言しました。

――同じ2024年の12月に、日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。そして、日本被団協の佐久間邦彦理事長の手から被爆樹木の種がオスロの自然史博物館におくられるセレモニーが行われました。どのようにご覧になりましたか。

被爆樹木が被爆者と同じ舞台で,平和の使者としてメッセージを届けたことは,私にとっても感慨深いものがありました。被爆2世の苗を植えれば世界が平和になるという単純な問題ではありませんが、平和と希望の象徴である被爆樹木のメッセージを運ぶこと、そのメッセージを伝えるとりくみには意義があります。

スタバンゲル植物園で行われた企画展「Messages from the Silent Witnesses(沈黙の証⼈たちからのメッセージ)(公式サイト・ノルウェー語)では、ノルウェーのアーティストの手で広島の風景をプリントされた布が森の中に展示され、来園者は広島で採録された環境音をヘッドセットで聴きながら歩くことができました。ノルウェーの森と広島の被爆樹木が一体となった空間で感じた何かは、それぞれに忘れられないメッセージを残したのではないでしょうか。私自身、理屈ではなく、感じることのできるアートの力を再認識しました。このアート展は、被団協のノーベル平和賞受賞を受けて、被爆80年を迎える2025年、8月にオスロにある植物園で、11月に広島市植物公園で再び企画されています。(「被爆80年特別企画展『被爆樹木』」関連イベント「アート展Hibakujumoku – the trees in a community –  Kikyo帰郷」。詳しくは広島市植物公園公式サイトをご覧ください)
定年後のこれからも、被爆樹木のテーマはライフワークとして続けていきたいと思っているので、こうしたとりくみのひろがりが、これからも楽しみです。

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▲2024年6 ⽉スタバンゲル植物園で行われた屋外アート展の風景
 
「社会植物学」の可能性と、市民にできること

――市民が植物を通して社会をあるいは社会を通して植物を理解する「社会植物学」を提唱されています。緑をとおして平和な社会をつくっていくために、わたしたちにできることはなんでしょうか。

植物には、人間に訴えかける力があります。力強く新しい芽を出すのを見て勇気をもらったり,葉が風に揺れる音を聞いたり,花の香りをかいだり,太い幹に手を添えて樹液の流れを感じたりすることができます。植物がしゃべらなくても,人に聞く耳があれば,植物の声も聞くことができるのです。そして、被爆樹木のように守り、種や2世に託してひろげることで、思いをつなぐこともできるのです。
私が環境市民会議委員長と長期計画策定委員を務めている武蔵野市には、「武蔵野市民緑の憲章」
(武蔵野市公式サイト)があります。戦後、市民による自治を目指した偉大な先人たちが遺してくれたもので、まちづくりでも、市民が参加する「武蔵野市方式」という長期計画が受け継がれています。そういう意味では、緑を財産として大切に守りそだて、次世代に伝えるという、市民の意識がいちばん大事ですね。教育や報道を通じて、民主的にひろげていくことです。

――緑の空間づくりにこめられてきた思いから、最後にメッセージをお願いします。

環境デザインは、単に空間を設計することではなく、そこに関わる人々の意識を変え、社会全体の価値観を形成するものです。私がこれまで携わってきたプロジェクトはすべて、「人と自然の共生」をテーマにしてきました。今後も、植物を通じて環境と社会をつなぐ新たな方法を模索しながら、より多くの人々にその重要性を伝えていきたいと考えています。

戦後半世紀を過ぎても、誰も気づかず見すごされていた被爆樹木たちの声なき声。それを撮影と記録によって見出し、伝えていただけたのは、独自に深めてこられた植物のデータベース作りや、環境教育の場をつくるお仕事の積み重ねあってこそと、改めて感じました。戦後80年をむかえるいま、そのメッセージを共有させていただける奇跡のような巡り合わせに感謝しながら、このサイト運営をとおして「社会植物学」をささやかながらも実践していきたいと思います。貴重なお話をありがとうございました。

 

いずれも、緑とのふれあいを楽しみながら、人と自然の共生について思いを巡らすことのできるすばらしい場所です。ご興味をお持ちになった方は、ぜひ訪れてみてください。

 

●筑波山梅林(つくば市)

https://www.city.tsukuba.lg.jp/soshikikarasagasu/keizaibukankosuishinka/gyomuannai/3/3/1001423.html 

●国営昭和記念公園花みどり文化センター(立川市)

https://www.showakinen-koen.jp/facility/facility-538/

●板橋区立熱帯環境植物館(板橋区)

https://www.seibu-la.co.jp/nettaikan/

鈴木雅和先生が手がけられたランドスケープでおすすめの場所

主な参考文献

「人物インタビュー・第40 回上原敬二賞受賞者上原敬二賞受賞者に聞く 鈴木雅和先生」『ランドスケープ研究』87巻4号  2024

Masakazu Suzuki, Nagisa Owaki,Hideko Yamada “The Another Sun” 2015

Masakazu Suzuki.“Hibakujumoku as a Casualty of Atomic Bomb” 2024

鈴木雅和「社会植物学によるSDGsへの貢献と植物園デジタルツイン構想」日本植物園協会誌 2024

鈴木雅和「被爆遺産の点・線・面 ―原爆を記憶する樹木たち―」(核兵器をなくす国際市民フォーラム) 2025

石田優子 『広島の木に会いにいく』(偕成社)2015

 

(​花みどり文化センター以外の画像は鈴木雅和先生提供)

©2025 Peace & Plant Library 

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